カリフォルニア通信

胸が踊るような何かを、カリフォルニアの空の下から。ロードバイクと写真と音楽と物理について。

ドラッグの匂い、線香の香り

夜、日付が変わる頃。

疲れを見せずに営業を続けるホットドッグ店。大音量でヒップホップを流しながら路上駐車する車。触れ合う男女。悪態を吐きながら彷徨う浮浪者。

そして街中に溢れる大麻の匂い。

 

これは、世界有数の大学を擁する街が見せる別の側面です。

歴史の中でヒッピー文化と教育機関の共存が生み出したのは、この昼と夜で主役が入れ替わるステージとしての街の姿、そしてその双方を毎晩行き来する若い学生たちの生き方でした。

僕はこの街に、学生として住んでいます。

 

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一度慣れて何が安全で何がそうでないのかを判断できるようになると、この混沌とした雰囲気は少しだけ心地よくもあります。暗い道路に強烈な光を放つ不統一な看板や道端で大麻を吸いながら大声で戯れる若者や路駐した改造車のスピーカーが作る低く重い空気の振動は、どれも少しだけ、日本のゲームセンターの空気感に似ているような気がします。

 

以前、まだ日本にいた頃、少しだけ勉強や他のことに疲れて毎日のようにゲームセンターに通っていた時期がありました。お金が沢山あるわけでもないので大半の時間は友人や見知らぬ人が遊んでいるのを見ているだけでしたが、暗く五月蠅く混沌としていて一見戸惑うような場所でありながら拒むことなく好きなだけ不干渉で混沌に身を置かせてくれるあの場所が僕はたまらなく好きでした。そしてそうした場所に身を沈めている人々の息遣いを感じるのが好きでした。

 

旅といい写真といい、僕はきっと人間の生を強烈に感じられる場所や光景を探すのが好きなのだろうと思います。自転車で自然の中誰もいない山頂や高地に行くことやそこで星空を見上げることへの熱狂的な欲求はそうした感覚への対位的なものでしょうか。

 

しかし同時に、その対極にあるような日本の街が少しだけ恋しくなることがあるのも事実です。既に日本を離れてから短いとはいえない時間が経ち昔の自分が見たものを幻想として抱いていることは否めませんが、それでもこの夏に日本を訪れたときは、平和で、代わり映えのなく、当たり障りのないような光と影に囲まれて沢山の要素が干渉しあって成り立つ日本の街が、まだそこにあることを自分の目で再び確認することができました。

そしてそうした日本の空気の記憶はなぜか、幼い頃に両親の実家でしか直接触れる機会のなかったはずの線香の香りと共にあります。

 

ドラッグの匂いと線香の香り。交わることのない二つのにおいと共に将来の自分が思い起こすのは、その双方を連続して体験したこの夏の記憶だろうか。はたまた未来に体験する別の出来事だろうか。

そんなことを考えながらホットドッグを頬張り、今日は帰路につきました。

 

写真は7月末、鎌倉にて。

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