カリフォルニア通信

胸が踊るような何かを、カリフォルニアの空の下から。ロードバイクと写真と音楽と物理について。

コンタドールの引退と写真と記憶と。

こんにちは。

夏が終わり少しずつ曇りの日も増えてきましたが、週末は猛暑が続いてなかなか自転車に乗れなかったのでピアノを弾いたりしながらのんびりしつつ、細々としたメールやら何やらを片づけて過ごしました。今日はガチンコヒルクライム。ちょうどこの記事の下書きを書いている途中だったので写真は撮らずに帰ってきました。

今日から数日間は私の個人的な写真に対する思いをスーパースターの引退に関連付けてつらつらと書いてみます。写真をとることとロードバイク旅の記憶(記録)を残すことは両立できるのか、がテーマです。

 

エル・ピストレロの引退

ブエルタが終わり、コンタドールが引退しました。

ここに細かく書かなくても皆さんご存知だと思います。とにかく見る人の心を掴む走りをする彼は最後まで最高のクライマーでした。アングリルの激走とステージ優勝は間違いなくロードバイク史に永遠に残るスーパースターの最高の引退試合として語り継がれるでしょう。本当に胸を熱くしてくれるスターでした。どうしてもあのピストルが見たかったので感無量です。ありがとうコンタドール

この写真がカッコよすぎて保存しました。オーラがありすぎて胸がバキュン(意味不明

 

スーパースターの写真

いつも拝見しているシクロワイアードというサイトでコンタドールの競技生活を振り返る写真特集が組まれていました。(前後編)

www.cyclowired.jp

有名なシーンばかりである意味誰でもネットで見ることのできる写真が多いけれど(トップスターなので当たり前ですが)、こういう企画は楽しいです。写真がこういう企画で感動を与えてくれるのは各場面の写真に語られないコンテキストがあるからですよね。各写真に収められている場面で何が起きていたのかを多少なりとも知っているからこそ、「そうそう、この場面はすごかった!」と盛り上がることができます。

そして実際、ブエルタ最後のアングリル峠ではコンタドールが一人アタックをかけて抜け出した瞬間から誰もが歴史的な瞬間の目撃者として「この場面は永遠に残る」と意識しながら見ることで、歴史が歴史として過去のものになる前から歴史が形作られるという展開になりました。

なんだか回りくどい書き方をしてしまいましたが、きっとコンタドールをあの場で応援していた地元の人たちは彼の独走が間違いなく歴史的な引退優勝になると信じていたからあれほど熱狂的な(かなり危ないような気もしましたが)応援ができて、それが彼に最後の力を与えて、そしてその場面(顔を真っ赤にして叫ぶ観衆と力を振り絞ってアタックするコンタドール)を写した写真が歴史の一枚として残ったのだと私は思っています。それほど感動的な場面で、それほど力強い走りでした。

f:id:sterling-ym:20170914061218j:plain

f:id:sterling-ym:20170914061233j:plain

写真はこちらからお借りしました。高解像度の素晴らしい写真特集なのでお時間があれば覗いてみてください↓

cyclingtips.com

写真と記憶と

ここでふと思ったことがあります。こういう歴史的な場面は誰もが歴史の瞬間として記憶・記録しようとするからこそ更に深い歴史が形作られることに間違いはないと思いますが、自分の記憶の場合はどうでしょう。とても貴重な体験をしたり貴重な風景を見たとき、それが貴重で大切な体験だと意識することでその体験は更に思い出深いものになるのでしょうか。

別の言い方をすれば、立ち止まってカメラを取り出すことでその場面はより強く思い出にのこるのか、です。

前にも書きましたが私はそこそこ長い間カメラを触ってきて、幸運にも大会で入賞を頂いたり展示会に参加させてもらったこともある程度には真剣にやってきた自負があります。カメラを取り出してファインダーから景色を覗くのはひとつの至福の時間だと思っていますしシャッターを切る瞬間に手に伝わるミラーの振動がたまらなく好きです。でも、というかだからこそ、ロードバイク(とか普通の旅行とか)で貴重な体験をしたときにカメラを取り出すのが本当に良いことなのかどうかが分からないのです。

私は、写真を撮りに行くときはカメラを持って歩きます。どんな瞬間でも撮れるように視界にうつる風景をカメラで撮った風景に変換しながら歩きます。写真を撮り歩くというのはそういうことだと思いますし、去年の夏はそうしてヨーロッパ中を放浪してきました。そして、じゃあそれと同じようなことがロードバイクとかハイキングとかその他のことにも言えるんじゃないかと思うのです。ロードバイクで走る風景はロードバイクで走りながらみるのがいちばんいいんじゃないか、と。

ここまで書いておきながら自分の中で結論が出ていないので続きは次回の記事を書くときの自分に任せます。なんだか精神論みたいな記事になってしまったので次回は現実的な話をします。

ではでは。

(c)sterling studio 2018, All rights reserved.